日々を愛しみつつ、感じたことを綴る日記です。子どもが夢を描ける未来のため、私たちが輝きましょう! 

松原美里の謳歌ブログ「大人が輝く背中を見せる」


ピッコロと箱理論

ピッコロさんで衝撃の保育をじっくりと目の当たりにしたことで

私の中のこれまで作られてきた「当たり前の前提」になっていた

価値観が下からぐらぐらと崩壊。


これが、保育にとどまらず生き様や人間としての在り方など

広い価値観の転換口となりつつあります。


嬉しい気付きであり、

いろいろなことが変わってしまう予感もあり・・・。

なんとなく腑に落ちないな、

そろそろリニューアルが必要かなと感じ始めていた8つくらいの案件が

私の中でストライキをおこし始めました。


う~ん、いま必要なのはなんだろう。


目をそむけてなかったことにすることではなく、

とことん本質に向き合うことかな。


~そんなわけで、すべての気になっていることや不安要素・

自分が見たくなかった弱い声を書き出してみました。



それらを見て、ちょっと気絶してみたりして、

黙々と料理をしてみたりする中で、

少しずつ自分自身を受け入れる土壌が沈殿してきつつあります。



小さな一歩も、少しずつ踏み出せるようになってきました。

これ、無意識に私の中でも「箱の理論」になっていたんだなぁ。

http://d.hatena.ne.jp/tgk/touch/20060731/1154317861

だって、中島先生の保育を映画で見た時、湧き上がってきたのは

正当化ゆえの「怒り」だったもんなぁ~。


恐ろしいなぁ。


何より、一番 自分が大切にしたいものを自分が裏切っていたんですね。



ちゃんと本質で生きていこう。


そして、みんなが生かせる本質的なシステムへと

落とし込んでいこうと思います♪
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体験とプロセスから子どもの気づきと成長を見守る~日常の中の一歩

今日のピッコロ保育研修3日目は、衝撃の「クッキング」でした。


クッキング・・・といえば、私の中では日案ありき。

最初にねらいがあり、子どもたちが○○の体験をすること、など書いてあって

時系列で予想される子どもの活動と、そこに準備するもの・かかわり方、など

初めから終わりまではしっかり作りこまれたものを主任に見てもらい、

長が印鑑を押して 当日を迎える。



子どもたちが“体験の主役”であることは一緒なのですが、

どうも“お膳立て感”があったのかもしれない、と 

今日のクッキングを見て、広がる可能性に目からうろこが落ちました。

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<ピッコロクッキング>

・保育スタッフミーティングにて、子どもに体験させてあげたいポイントを共有した後、

子どもが取るであろう行動をシュミレーションし

(子どもたちは軽々と想像を超えてくれていましたが)

極力大人が「こうすればいい」という安易なお手本を見せずに、

子どもたちの自由な発想で広げられるように 大枠の意図共有を行う。


・作り方は、子どもたちがそれぞれ家で調べてくる

・子どもたちを主役にレシピを全体共有し、形にするべくスタート!

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 ~けれども、ここで先生の指示は一切なし。

 「どうするんだっけ?」と問いかけて、手洗いや自分で動く行動をそっと促すものの、

子どもたちは27人27様。


積極的に動く人、楽しんで行う人、

「やりたい」と言いながらも動かずに誰かが何かをしてくれるのを待つ人・・・

そこには人間社会の縮図ともいえるシステムが見られました。


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ここで、おそらく通常の保育なら「○○しようか。」と先生が働きかけて

子どもは促されるがままになんとなくクッキング体験に加わっていくのですが、

そうはしないのがピッコロさん。



「やりたいんだったら、どうしたらいいんだっけ?」と行動を促すものの、

それでも与えられることを待っていて、今回はやらなければ 

それはそれで今回の学びになる。



一方ではうどんをこね、火を焚き、野菜を切って…と進行する中で、

実は1人、本当に加わらない子がいました。



けれども、その子の表情を見ると、眉毛が困った顔をしているのです。

「あ、育ってる!(心の内側に葛藤や変化が起こっている)」と感じた瞬間でした。


ピッコロでは、3年間のうちに 

はじめはよくわからず受け身でいた人が 

自分で感じて、どうしたら良かったんだろう?と考え、際に自分で行動を起こして

自分の世界を自分の力でより良いものに変えていくことができる育ちを信じ、

集団の力と気づきのタイミングを待ちながら保育をしているのだ、

ということをあらためて学ばせていただいた場面でした。



さまざまなドラマが進行する中、

積極的に水を汲み・・・(消火用のお水らしい)

火おこしに取り掛かる子どもたち。


ここでも、大人のリードは一切なし。

どうするんだっけ?

何が必要なんだっけ?

~ということで、枝を取りに行ったり、

葉っぱをくべてみたり。

なかなか日が燃え盛らずに苦戦する中、あの手この手で知恵を絞ります。

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そんな中、リーダーシップを発揮ししていたある女の子の仕切りがキツ過ぎて

他の子たちからクレームが出る場面も。

本人、強気に返していましたが

周囲の声を挙げぬ子たちの中にも同じ思いがあったよう。


我の強いリーダーとして嫌がられるのか?

それとも、元々持っているリーダーシップを発揮して

「自分が」から「みんなで」を後押しすることができる

芯の強いリーダーに成長していくことができるのか?


先生たちは、後者に願いを掛けながら、

さりげなく他の子どもたちの声が本人に届くよう、耳を傾けながら

やり取りを見守っていました。


付いたかな、と思ってもまたしぼんでしまう火種を前に、

「今日は火、付かないかもなぁ~と覚悟をしていた」という中島先生。



試行錯誤の中で、ある子が不意に入れた紙のような葉に

ふわっと火が燃え広がり、大歓声が上がりました!


この、結果的に火を点けた子は

それまでの日々の積み重ねの中でも なかなか遠回りをした子のようで、

ここへ来て、ぐっと背中を後押しするような成長の出番がやってきて

自信が付いてきたようです。

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このほかにも、挙げきれないほどの珠玉のやり取りがあったのですが

書ききれないので・・・興味がある人は、ぜひ 体験をしに行ってみてくださいね!

森のようちえん ピッコロ 視察・保育研修


ピッコロさんは「自然の中でのびのびと体感する保育」として

注目を集めることもあるのですが、

じつはコーチングや場の力を生かしたファシリテーションでもあり、

「場は答えを持っている」といった

プロセスワークの局が立つような語り合いの場面も見られたりして、

本当に見事です。



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ピッコロさんの保育のエッセンスを持ち帰ることができるとしたら、どんなところだろう?


それはおそらく、

「現場では無理」「時間があるから無理」「年齢がまだ・・・」

~と、あきらめて目をつぶってきたさまざまな出来事たち。

日常の中に埋もれて 無感覚になっていた“保育者の痛み”を取り戻し

「どんな大人になってほしいのか?」

・・・という願いを掘り起こすところから始まるのかもしれません。



とはいえ、長年子どもにかかわってきたスタンスを

いきなり変えることができるか?

・・というと、それがなかなか長い道のり。

頭でわかっていてもつい これまでのくせが出てしまうんですね。

気づいたら、それは成長の第一歩。


「そのために、どう在るか?」

「自分は、何を選択していくのか?」


~ここを常に自分に問い続け、

新しい選択肢を重ね続ける中で 新たなかかわりが習慣として根付いていくのでしょう。

大人自身の在り方を変えるチャレンジは、試行錯誤が必要ですね。





未来を生きる子どもたちが、どんな力を獲得していけるといいのか?

それは、保育にかかわる方の意識にかかわっています。




枠組みに縛られたやむを得ずのアイテムではなく、

大人も子どもも“いま”を生き、変わることを恐れずに

「可能性に寄り添う」 こと。



失敗もあるかもしれませんが 、すべて成長の大切なプロセス。


まずは、それぞれができるところから・・・

楽しみながら、未来への懸け橋を掛けていきたいですね♪




私もさっそく、研修の中でピッコロさんのエピソードをお話して

「ねがい」を語り合ってもらう時間を創っています!
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ピッコロ2日目報告 後編~育ちの脳内マップ・大人の「黒さ」・プラスの意図・人として尊重する

ピッコロさん2日目報告、後編。



う~ん。すごさは分かる。

でも、どうやってそうなっているんですか?

どうかかわっているからこう育つんですか?


自分が実践の側と考えた時に、

不思議でしょうがないピッコロさんの保育現場。


子どもたちが素晴らしすぎるのです。



中島先生にその源を訪ねると、

先生の顔色をうかがう子どもたち。

どうしてなんだろう?

何がそうさせるんだろう?

~そう考え続けた結果が、今の保育実践につながっているとか。



気付きとエピソードを共有します。


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●育ってる?~育ちの脳内マップ

「育ってるねぇ。」

~こんな言葉を保育スタッフの皆さんがよく 

嬉しさを噛みしめるようにおっしゃるのですが・・・


文脈を聴いている中で、なんとなく見えてきた脳内マップがあります。



ここの皆さんは、毎日

同時進行で進む30人前後の子どもたちのドラマをよ~く観察されています。


そのドラマは毎日連載で、しばらく渋滞や後退したかと思うと

急激に進行したりしてドラマが起こります。



それが、おそらく3歳前後から5歳で卒園するまでの

人間社会で生きていくための基盤となる課題――

---みなさんは「根っこが育つ」という言い方をしますが、

書面はないものの 軸のあるマップの上に、おそらく立体で

みなさんの脳裏の中に見えているようなのです。



軸は、私が思いつく限りでは、こんな感じでしょうか。

・自分自身である

・自分が好き

・お友達との関係性~お互いを尊重できる

・“群れ”の意識~誰かのために

・大人に自分の気持ちを伝えられる

・お友達に自分の思いを伝えられる

(おかしいと思ったことをはっきりと言える)

・感謝

・安全

・命(いのち)

・自分で動いて、世界を変える

~などなど。


棒グラフの0からグ~ッと伸びたところが小学校に上がった時に

社会で自分として健やかに生きていける「力」をまとった状態、として

全ての子どもたちの「今」が頭に入っており、毎日 書き換えられて行きます。


えっ、全員?

~そうなんです。

全ての保護者が、ピッコロのすべての子の育ちを自分ごとでとらえており、

「誰がどうした」といった視点を持たず、大切に考えているのです。



それは、それぞれの保育スタッフや保護者が

子どもたちを見守る中で見られた場面や育ちを

日々の中・保育MTG・金曜日の懇談会などで、全員で共有しているからでしょう。


(ピッコロさんは広報も環境も入園係さんも、保育メインの中島先生以外は

 全て保護者によって成り立っています。

 日々の活動の中でも、つねに話題は子どものこと・お互いのこと。

 情報共有の機会にもなっているようです)


保育・育ちの視点や課題を、余すことなく保護者と共有し、

来たるべき育ちのタイミングを信じて、みんなで“待って”いるのです。



愛ですね。



●大人は「黒い」という自覚

人は誰しも、気が付かないうちに「フィルター」や「色眼鏡」を掛けて現実世界を見ています。

これは、システムシンキングの勉強会STARクラブでも散々学んだことですが・・・。

子どもの取る行動に対しても、私たちはとことん 「色眼鏡」を投影してしまっています。



保育の中で、子どもが投げた少し大きめの石が 先生の足に当たりました。

けれども、本人は何気なく移動しようとしています。

気付かなかったのか?

たいしたことないと思ったのか?


おや?と思ったことを流さないのが ピッコロさんのすごいところ。

「あれ?いま、石が当たったな。」

その子に伝えました。


その子はふーんといった感じでまた、流そうとします。


「ね、石 大丈夫?」

気付かないのか、無意識なのか、そんな気はなかったのか、

ちょっとわざとだったのか、聞こえないふりをしているのか?

私はどちらだろう・・・と考えながら見守っていました。


「石、当たらなかった?大丈夫?」

「うん。」

「石投げたら、どうなるんだっけ?」

「・・・ぶつかる。」

「うん、そうだよね。

 ぶつかったら、どうなるんだっけ?」

「痛い・・・。」

「先生もいま、痛いところだったよ。大丈夫だったけど。」

「・・・。」

「どんなつもりだった?」

「・・・。」


「ぶつかる、ってわかってた?

 ちょっとわざとだった?

 そんなつもりはなくて、びっくりした?」

「・・・。」

「(様子を見て)

 気を付けてね。」


彼が行った後に、

「ああいうところ、(育ちの課題が)あるんだよね。」

と、教えてくれました。

そして今のは、意図的が入っていたか、ビックリしちゃったか、気づいていなかったか・・・?

一緒に仮説検証をすることに。


「聞かれたときに目線が泳いでいなかったから、

 誤魔化してはいないと思うんですけど。」

「考えなしでやっちゃったか?」

「う~ん、大丈夫だろうと思って投げたか・・・。」

「当たらないと思って投げたら当たって、

 でも大したことなさそうなところでスルーできると思ったら声掛けられた?」


う~ん。

本当に悪意はなかったのか、どうなのか。


「う~ん。大人は黒いからなぁ~。」


どちらとも取れる。

けど、現場でここまで真剣に一つのちょっとした出来事を真剣に掘り下げて考えることってあるだろうか?

もしも、何気なく「こうなんでしょ」と分かったつもりで代弁の声掛けをして、

本当はそうじゃなかったとしたら。

まっすぐな優しい心が、傷ついてしまう。



大人は、ここまで生きてくる中でさまざまな出来事があって

それが風景を見る上でのメガネ(色眼鏡)になっている。

もしも、前後の文脈や様子から決めつけてしまったとしたら?


家族以外で初めて社会で出会う「信じてほしいであろう人」に

濡れ衣を着せられてしまうことになるんですね。


この傷つき、けっこう深いです。


だからといって、子どもは天使でもない。

「性善説」とか「性悪説」とかいいますが、

どちらも持っているのが人間の自然な成長の姿です。


本当は、何が起こっているのか?


決めつけないで、とことん掘り下げて可能性を考えつつ

「願い」へ向けて“育つ”ための布石を敷いていく。


その際、大人は「黒い」からなぁ~という自覚を少し持っておくだけで

子どものまっさらな真実が見えやすくなるかもしれません。


●「強い」の意味

ある時、子どもが遊んでいたボールが塀の下の車道に落ちました。

ピッコロさんでは日々どう伝えているのか本当に不思議なのですが、

一人一人の中に「いのち」の意識が深く入っており、

基本的には勝手に車道に降りたり飛び出したりする人はほぼいません。



が。この時、一人の子がボールを取りに下りてしまったのです。


3歳の子がえらいこっちゃ…という使命感と一緒に

「中島先生に、言おう!」「中島先生!!あのね・・・。」

~と、その出来事を伝えに来ました。



鼻息荒く「ボールが落ちてね、下に降りちゃったの!!」と伝える年少児(3歳)。

(ここで私ならきっと、お話を聞いた時点で

 現場に駆けつけてしまったかもしれません。)

先生は、うん、うん。と話を聞いた後に、

「そうか~。それ、○○はどう思った?」

「いけないと思った。」

「うん。どうしていけないって思った?」

「お腹がね、チクチクってね、痛くなってね・・・。」

「うんうん。怪我をするから危ないんだよね。」

「どうしたらよかったって思った?」

「うんとね、チクチクって・・・。」

「そうだね。ありがとう。」

~3歳の彼は、怪我をすることがあるから危ないから、飛び降りてはいけない。

というところまでは、(信念として)入っていることが分かったそうです。

「それ以上は、まだこれから(の成長課題)か。」



・・・そうこうしているうちに、どんどん大事件の様相を呈してきたピッコロさん。


ざわざわした気配に「何かが起こったようだ」と感じた子どもたちが集まり始め、

「○○○さん」と、別の保育スタッフに訴えている子もいます。



ピッコロさんでは、ある事件が起こった時に “人ごとにしない”。

“自分ごととして、出来るかかわりを選択する”ということを普段から行っており

(どうやればそう入っていくのか、そのプロセスが見たいものです)、

「えらいこっちゃ」と感じた人たちが口々に 

下に降りた本人に「いいの?!」と話をし始めます。


そして、「パイン(年長)集合!!」という声が掛かりました。

すると、使命感を感じた年長児のパインさんたちが続々走ってきて、

状況を聞くや否や、本人にお話をし始めます。



なんだか、すごいことになっている。

そんな思いで見守っている中で、ふと保育スタッフの方と

「パイン集合、掛かりましたね。」

~なんて話をしていました。

「掛かるもんなんですか?この集合」

「自分たちが大事なことだ、と感じたことの時には時々かかりますね。」

・・・ふと、気になった私。

「いったい誰が、どうしてパイン集合を掛けたんでしょうね?」

・・・聞いてみると、年中の女の子が発信者でした。


これまで、予測で「きっとこうなんじゃないですか」と予測して(仮説で)いう癖があった私ですが、

こちらへ来て、様々な場面で自分の予想とは違った答えが子どもたちから出てくるのを目の当たりにして

予測はそこそこに、本人に話を聞いてみることに。


「どうして“パイン集合”、っていったの?」

「・・・強いから。」

「ああ~、強い。」

「男子と、○○は強いから。」

 (・・・とまた、ここで納得して“強い”の意味づけを自分流にしそうになるのを止めて)

「強いって?なにが強いのかな?」

「・・・言葉・・・。」

言葉、というニュアンスの中に 影響力・説得力・愛情など

さまざまな要素が含まれているのを私たちは感じ取りました。






そうか。

自分たちが最初に説得したけど(その様子は見えていました)相手に伝わらず、

どうしていいか分からなくなって「パイン集合」とパインに願いを託したのです。



ジャイアンのような“強さ”をイメージしていた私は、

またもや決めつけなくてよかった・・・と思いました。

同じ言葉を使っていても、その意味付けや理由は人それぞれなのだということを

あらためて感じました。



「とにかく、本人たちに聞いています。」

~そうおっしゃる保育スタッフの皆さんの言葉の重さが懐に沁みてきました。



●マイナスの行動と、プラスの意図

ボールの一件の続きですが、

かわるがわる人が呼ばれるものの、本人はしゅんとするだけで

あきらめたような、煮え切らない態度になっていきました。


中島先生が通りかかった際も本人、スルーをしたそうなのですが、

行き過ぎた後に先生、

「ボールを取ってあげようとしたんだよね」

~と声を掛けました。

すると、本人 戻ってきてギュッと手を握ったそうです。

「ボールが出ちゃったから、良かれと思って 

 取ってあげようとして下に降りちゃったんだよね」

本人、先生に体を預けて甘える素振りに。

分かってもらえて、嬉しかったようです。

「でもね・・・。大事な“いのち”だから。分かるよね。

 ボールを取るなら、どうすればよかった?」

「・・・大人を呼べばよかった」

「そうだね。」


一見マイナスに見える行動があって、

たとえばみんな良かれと思って、大事なことを伝えなくちゃとその点をお話しするわけですが

NLPの概念にもちょっと似ているものがあるのですが

“マイナスの反応にも、プラスの意図がある”、というもの。



最初っから困った行動をしようとして行うわけではなく、

そこには必ず、プラスの意図がある。


そこに焦点を当て、寄り添うことで 

結果的に大事なことを受け入れられるようになる。

~ということを、しみじみ感じた出来事でした。



*さまざまな視点からの一部始終がなぜ分かるかというと、

 保育共有MTGにて、時系列で皆さんの視点や出来事のすり合わせを行ったからです。



●「こども」ではなく、「その人」として世界を分かち合う

自分でも気づいていなかったんですが、

ここで私はたくさんの子どもたちの「真実」に出会い、

この人たち、ホントにすごいな~!!という視点がむくむくと湧き上がりました。



「子ども」というメガネが掛かった状態から、

「この人」という個人への敬意に移行したのでしょう。



すると、不思議とみんながさりげなく私を仲間に入れてくれるようになりました。


ああ、私が「子どもメガネ」で見ていたことを、感じていたんだな。と。

「この大人は、こういうタイプ。」そんな目できっと見られていたのでしょう。

お恥ずかしい・・・。


振り返ってみると、声の出し方や言葉の内容に先入観がなくなり、

私自身のかかわりかたもナチュラルになりました。


仲間的認識に入れてもらってから、

みんなさりげなく遊びや感想を分かち合ってくれたり。

「うめちゃ~ん!」と呼んでくれるようにもなりました。

「どう感じた?」と問い掛けて、しばらく間があっても 

スルーされることがなくなりました。



この、立ち位置。

自分では気づかないうちにメガネが掛かっていたのです。


私は何年保育に携わって来てるんじゃい!

~と、激しくセルフツッコミを入れたくなりました。



気が付くことで、そのシステムを客観的に捉え、手放すことができる。

恥ずかしい気付きだらけですが、

そんな自分を「笑って」受け入れたおかげで

凝り固まった保育の土壌に

自分の在り方を選択する“柔軟性”が出てきたように感じられました。

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ピッコロ2日目 素敵すぎるお誕生日会

ピッコロ報告、書ききれなかったので 

記録としてこちらに感動を残しておきたいなと。

この日のメインともいえる軸は、ある子のお誕生日会でした。



お誕生日会といえば・・・。

これまでのイメージでは、

お誕生時にバースデーカードを作り

(いい顔の写真を撮ったり、保護者や先生からメッセージを書いたり)

日案があり、担当者が始まる前の机やテーブルの配置・子どもの動きを考え

誕生児が照れくさそうに、誇らしげに前に出て

導入の手遊びや歌で始まり、お誕生日のインタビューやHappyBirthdayなどを歌い

職員が楽しい出し物をしたりしてみんなでお祝いをする---

~といったイメージがありました。



こんなお誕生日会、いいな~!

・・・という気づきが満載の、素敵な時間でした。



以下、印象的な朝の場面から、ご紹介します。

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●朝の会のために、自発的に座っている人たち

「なにあれ?なんで座ってるのかな?」

~中島先生が笑いをこらえて言いました。

えっ?

そういわれてみると・・・まだ、30分以上前だというのに

子どもたちがちらほらと、朝の会の場所に座っているのです。


ええ~!

朝の会って、先生がお集まりのお声掛けをしないと集まってこないものでは??

お声掛けをしても、なかなか集まりたくない人が

ちらほらいたりして時間がかかるものですが・・・。

楽しみにしているなにかがあるのでしょうか?


「なんで座ってるのか、聞いてみよう。

 ねえ、なんでもう、座っているの?」

「だって、席 取られちゃうから」

「えっ、せ、席取られちゃうからか・・・。

 だってさ、まだ時間あるじゃん。暇じゃないの?」

「暇じゃない。葉っぱとか見てるから。」

「ふ、ふ~ん?葉っぱかぁ~。」

「あ、○○くん、席取っといたよ!」

「ありがとう」

今日の主役の○○くんが座ると、さらにパラパラと

みんなが集まってきました。

そして、誰からともなく、中島先生を見ます。

●好きな○○ちゃん

「みんな、○○くんのお誕生日会だってわかってたんだね・・・。」

~誇らしげなみんな。

ピッコロさんでは朝の会の時に一日の流れやお天気を確認した後、

「今日のニュース」という時間があり、年長さんから順に年中さん、年少さんと

全員が立ち、誰からともなく これまた上手にかぶらないように

自分の名前と年齢・今日の朝あったことや印象に残ったことをお話しています。


で、この日はお誕生日会ということもあり、ニュースではなく

「好きな○○くん」というテーマで一人ずつが愛を伝えます。

手を挙げた人から、順番に・・・

「好きな○○くんは・・・すべて。」

すべて?!

えっ!!

なんちゅう愛の告白!?

「好きな○○くんは・・・転んだ時、笑っているところ。」

「好きな○○くんは・・・すべて。」

「泣いてるとき、こういう顔をするところ」


~などなど、愛の告白タイムが続きます。

そしてその後、先生や保育スタッフからも。

最後に先生より

「みんなからいろんな○○くんが出たね。

 こんな○○くんは・・・どう思う?」

と本人に尋ねます。

「いい。」

「そうか、いいんだね。

 じゃあ、○○くんのすきな○○くんは?」

「すべて」

~ズキュン!!

なにこの、清々しさ。

さわやかに、自分が好きだって言っている。

揺るぎない自己肯定感だな~!!


・・・という、衝撃の一日の始まりでした。

●その日の遊びを、誕生児が選択する

「○○くん、今日はどこがいい?」

「ピッコロ」

~というわけで、誕生日会の日の遊び場所(遊び)は

誕生児の好きな場所に。


主体的な「過ごし方」において、本人の意思を尊重する。

さり気なく、ステキですね。


●プレゼント

「誕生日会だから、今日 お弁当早く終わるのにした。」

子どもたちが何気なく口にしています。

どういう意味?と尋ねると・・・

いつもはお昼もゆっくり食べて、その後も自由に探索などできる時間設定になっていますが

誕生日会の日は12:45からイベントが始まる、とみんなが分かっているのです。


そのイベントとは---プレゼント。

えっ、プレゼント?

モノなんだ??

~なんて思っていると・・・

数名がいそいそと何やら取りに戻ってきました。

「プレゼントある人?」

「はい、はい!!」

~何人かが手を挙げました。

「○○ちゃん。」

「うんとね、3つ作ってきた!

 嘘んこの飴と、嘘んこの飴と、これも嘘んこの飴で・・・。

 テレビ見る時間、なかった!」

~その子の時間を割いて、

○○くんのために作ってきた、折り紙などお手製のプレゼントたちでした。



「他にある人は?」

「はい!」

「はい、どうぞ。」

「○○くんに、飛ぶ棒。」

手で棒を飛ばして見せます。

「私も私も!」

買って渡すものではなく、子どもたちがお友達のことを思って探した

見つけた宝物や作った思いのこもったプレゼント。

なんだか見ていて、ほっこりと温かい気持ちになりました。


●好きなものを一緒に食べる

「○○くん、何にした?」

「べっこう飴。」

プレゼントをもらった後は、誕生児からみんなへ

家で(お母さんが)作ってきた食べ物のプレゼント。

手のひらよりも小さいサイズのべっこう飴につまようじが持ち手として付いたものを

一人ずつ、配ってくれました。

そして、まだ数に余裕がある・・・けれども全員分はない。

~となったとき、どうするのか。

「好きな人。」

と、誕生児が“好きな人”に配ることに。

好きな人?というと残酷だと感じる大人もいるようなのですが、

選ばれた人だけが好きな人というわけではなく。

みんな好きで、「さらに好きな人」という意味だそうです。



最初は文句なしで仲の良い人に配るのですが、

これがみんな、食べたいもんだから「はい!はい!!」と手を挙げるんですね。


そうすると、○○くん優しいので、手を挙げた人に配っていく。


私には「好きな人」が、

「飴が好きで手を挙げた人」というニュアンスにも感じられました。

こういったところにも人柄が出ますね。


そして最後は・・・特大サイズの、顔よりも大きなべっこう飴を 

みんなの前でペロン♡

みんなから、羨望のまなざしが集まり居ます。

「激しく、うらやましい!!」なんていう子も。


ところが、少しして 飴が割れてしまいました。


そしたら、「○○に、あげる!」

~と、心友の名前を指したのです。

ご指名の○○くん、よだれ付きのそれですが

「ありがとう」と嬉しそう。

そして、一言。

「もう、○○ 俺のこと大好きなんだから♡」

思わず、大人ものけぞりました。

LOVELOVEすぎる・・・!!


後でのお話ですが、飴を受け取った心友君はしばらくそれを

手に持っていたものの(食べきれない)

すべての会が終わった後に そっと

「包んでいた紙、ちょうだい。」と言ったそうです。


それまでの間、ずっと思ってはいても 気遣って言わずにいたんですね。

●生まれた時のお話を、お母さんから聞かせてもらう

そしてしめくくりは、お母さんから 生まれた時のお話を聞かせてもらいます。

写真も見せてもらいながら、感慨深く語る姿に愛情がひしひしと伝わってきて、

一緒に来ていたお父さんも、泣いていました。

その後、子どもたちから親御さんへの質問タイム。

「生まれる日に食べたかったものは何ですか。」

「どうしてお父さんは泣いてるの?」

~などなど。

持ってきてもらったアルバムをみんなじっくり見ていたのですが、

子どもたちがすごいなぁと思ったのは、

どんなに小さな時の写真であっても、

集合写真でほかの子がたくさん映っている以前の園の写真であっても

「あ、○○くん!」と瞬時に当ててしまうこと。


いわれて見れば、面影があります。

いつものやり取りの中で、お友達のいろいろな表情をよく「見て」いるんですね。



心に残る、素敵すぎるお誕生日会でした♡




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ピッコロ2日目(前編)~目に見えない「育ち」「自由」を尊重する・「待つ」は願いをかなえる手段

ピッコロ2日目報告。

この日はお誕生日会があり、

お誕生児が「ピッコロ」と園庭を希望したので

子どもたちはみんな、思い思いに自分の遊びを深めることに。

保育の間に子どもの様子を見守りながら

先生や保育スタッフのみなさんに“ピッコロの価値観”を聞かせていただきました。



ピッコロさんでは常にいくつもの意図が日常に掛けられており、

どれか一つだけを切り取るのではなく、

「こういう側面の意図もあるんだな」

「こういう側面の糸もあるんだな」

~と、多面体の保育の切り口の一つとして、

頭の片隅に置いておいていただけると良いかと。



たくさんの宝石のようなエピソードがあるのですが、長くなるので

ここでは伝えたい本質に沿って、いくつか紹介させていただきます。


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●目に見えない育ちを尊重する

自由遊びの時間が始まりました。

わ~!と数名で散っていく人たち、

お友達と声を掛けあいながら何やら作業を始める子どもたち。

そんな中で、樹の縁に腰掛けて ボンヤリしている子が二人いました。


そんな風景を、中島先生は嬉しそうに見守っていました。

「育ってるなぁ。」

~なるほど。

私はうっかり、声を掛けるところでした。


その二人は、二人の世界の中に没頭していたのです。


一人で自由に過ごすことを尊重する。

目に見えない心の育ちを尊重する。


~持て余して暇そうにしている時は別ですが、

何かをしていなくても、もしも子どもが良い表情をしていたら

(フクフクした表情で一点を見つめていました)

もしかしたら目には見えない世界で

その子がイメージを投影して世界観を創り上げているのかもしれません。

目に見えない世界の中で、子どもたちはたくさんの体験をしています。


●自由でいることを尊重してもらえる幸せ

その二人のこともそうですが、自分のペース・自分の世界を

「尊重してもらえる」という幸せ。

ともすれば、日常の保育の中では 予定が決まっているので

 「急いで」と声を掛けてしまったり。


一人一人を尊重したいと思っていても、

時間や空間・環境の制約がありすぎて

すべての子どもの「とことん」を心行くまで尊重することが

なかなか出来ない現状があるのではないでしょうか。


私も現場にいた頃はさんざんやっていたなぁ~と深く深く反省しつつ・・・。


ここは、どうやって緩められる枠組みを見つけられるかが

保育者の腕の見せ所になるかもしれません。



この、“自分を大切にしてもらった感覚”を十分に味わえることが

“自分はありのままでここにいていい自由”を体感できることにつながり

相手を尊重する余裕へ、そしてお互いを大切にし合える関係性につながるのでしょう。



そう思うと、私自身もラクになりました。


じつは、研修に来てから 

自分がどういう立ち位置でみんなに関わったらいいのかがよく分からず

居場所が不安定な感覚でいたのです。


(ピッコロさんの保育者のかかわりは、通常の保育とは異なるので

 いつもの声掛けは控えて 染まろうと決めてきたのです。)



相手の自由を尊重することが、

自分自身の自由を許可する感覚にもつながることを体感しました。



●“ねがい”をかなえる手段が「待つ」


「子育ては、焦らずに待ちましょう」

~なんていいますが、本当に待つだけでいいのでしょうか?

そんなわけありませんね。

さまざまな働きかけをしたうえで「待つ」から、育ちが発現してくるのです。



なぜ待つのか?

「子どもにこうなって欲しい」

という思いが先にあるから。



どうすればそういう子になるのか?

考えた結果、たくさんの伏線を張りつつ 

個人の内側の育ちが起こってくるのを「待つ」。



たとえば---「やさしさ」

お友達に乱暴をはたく子や、自己中心的な子がいると

保育士になってしばらくは、これが唯一の正解かのように

「お友達にやさしくしてね。」「相手の気持ちも考えて」

とひたすら声を掛けていました。



けれども、声を掛けてもかけても、本人に届いたのか届いていないのか・・・。

スルーされているのかわからず、次第にイライラが募って

その子につらく当たってしまう場面もありました。






ピッコロの子どもたちは、一人ひとりが本当にやさしい。

それも、表面的なゆるい優しさではなく、

じわっと涙が湧いてくるような、さりげない優しさなのです。



たとえば、お昼前に女の子が踊りを始めました。

数日前にピッコロ祭りがあったそうで、

そこでお母さんたちが踊ったアフリカンダンスを子どもたちが覚えて、

みんなで輪になって踊っていたのです。


「またお昼ご飯の後に踊ろうね!」

「うん、絶対踊る!!」

~お弁当を食べる中でも、踊るのが待ちきれず 腕がワキワキしていた子が居ました。

ある年中児さんのお母さんが柿をむいてきて下さり、

そのお子さんが 年長児と一緒にみんなに配ってくれました。

数人がお弁当と柿を食べ終え、チラッと他の「踊りたい」と言っていた子の様子を伺いつつ、

「待ってるからね」と存在を意識しながら踊り始めました。

何回か踊り終え、ちらっ、ちらっと 踊りたがっていた子を意識している女子チーム。

そこに男子が観戦に加わり、大盛り上がり!

(アフリカでは女性が踊って男性は太鼓だそうで、

 お母さんが踊って、お父さんが見ていたのを子どもたちは再現していた様子)


でも、おかしいな・・・。

あんなに踊りたがっていたのに?

なんでお弁当、食べ終えないのかな??


不思議に思い、そっと本人がお弁当を食べている横に座って聞いてみました。

「踊りたがっていたよね?」

コクン。

「お弁当、なかなか食べ終わらないね。」

コクン。

「どうかした?」

「・・・。」

「踊ること、どうでもよくなっちゃった?」

「・・・。」

「他に大事なことができた?」

コクン。

~と、ふと 彼女が手に持っているものが 

なかなか食べ進んでいないことに気が付いたのです。

もしかして・・・

「柿、苦手?」

「・・・・・・。」コクン。

もしかして・・・?

「○○ちゃん(年中さん)が配ってくれたから、

 食べなきゃと思った?」

「・・・・・・。」

年長児の彼女は目線を上げ、

うるうるした瞳でまっすぐに私を見つめ返しました。

「やさしいね。」

~その後、彼女のペースで柿を食べ終えたものの、

踊りの時間は終わり、お誕生日会の時間となりました。


「踊れなかったね・・・。」

「いいの!」

~吹っ切るように言って、彼女は片付け始めました。


踊りながら彼女を待っていた仲間たちは

ちょっと苛立った表情でもどかしそうにしていましたが

おそらく、彼女の選択を理解したのでしょう。


自分が踊ることよりも、年中さんの厚意を尊重したことを。




保育MTGでその日の出来事を振り返る中でこのことをお話しすると・・・



彼女は実はこれまで、誰よりも「いや」「いらない」など

とハッキリとモノを言う子だったそうです。



もうちょっと相手の気持ちを考えられる子になってほしい。



その“育ち”が、彼女の課題だったそう。


けれども、ピッコロさんでは

「やさしくしなさい」「相手の気持ちを考えて」と直接指導はしないんですね。



おそらく、「どう思う?」「いまの、どう思った?」

~そんな風にかかわっていたのではないでしょうか。



保育スタッフのみなさん、「“育ち”が出てきたね。」「いい感じだね」

ホクホクした表情で彼女の成長を受け止めていたのが印象的でした。







  1. ピッコロ 森のようちえん
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プロフィール

ウメハナリレーションズ代表 松原美里 

Author:ウメハナリレーションズ代表 松原美里 



こんにちは!松原美里です。
「子どものために、大人が輝く背中を見せる」をモットーに保育やコーチング・コミュニケーションを切り口に・講師・執筆・監修を通じて日本を元気にする活動をしております。

横浜女子短大 保育科を卒業。保育士資格・幼稚園教諭二種免許取得。横浜市の保育園~川崎市の児童養護施設にて保育に携わる中で子どもを支える大人のサポートの必要性を感じ、コーチングの道へ。2009年に米国認定コーアクティブコーチ資格取得。All About「育児の基礎知識」元ガイド。現在はエクレス子どもの家保育園 施設長の傍ら、コーチング・研修講師として保育士・子育て支援講座、監修等を行っています。
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